「生きる力を借りたから 生きている内に返さなきゃ」
2010.01.31 Sunday | 23:35 | days
1月18日、父が脳梗塞になりました。
午前5時過ぎ
父が、弱々しい声で、私の名前を呼び続け、隣の部屋で寝ていた私を起こしました。
目を覚ます私に、
弱々しい声で
「左手が動かない」と訴えます。
母は夜勤のため不在。
車で救急外来に行こうと最初は考えたけれど、
どうも事態はかなり悪い。
2階で寝ている兄を起こし、救急車を呼びました。
救急車を待っている間に、左手に加え、左足が動かなくなる父。
左半身に麻痺が拡がってしまったのです。
私が救急車に付き添い病院へ。
兄は、母へ連絡をし、数時間後には、家族全員が病院へ。
医師からは、命に関わる緊急的なことはないけれどかなり厳しい現実を言い渡されました。
------------------
現在も左半身麻痺のまま、入院中です。
なるべく日中に病院へ顔をだしコミュニケーションをとるように病院からも言われているので、
家族で交代で、
毎日
顔を出し、
話し掛けたり
食事の介助をしたり
身の回りの介助をしたり
と過ごしています。
私たちの生活は一変しました。
家族のことだから、家族全員で協力しています。
当たり前のことです。
私たちは、家族なんだから。
父が倒れた当初の私たち家族のショックは勿論大きく、
母は憔悴した顔で、
兄は泣きじゃくり
私は放心状態でした。
数日間は、これから先のことを悲観することが多かったのですが、
少し時間がたつと、
父を含め皆で頑張ろうと思いが強くなります。
しかし、また更に日が経つと
先のみえないことに、これからどうなるのかという不安が押寄せてきます。
本当に大変なのはこれからです。
また、元気な頃の父と過ごした日々を思い出すと、二度と帰ってこない日々に涙が止まりません。
今まで当たり前だったことが失われるのです。
今でも左手は動かなく、その左手はとてもとても重たい無機質なもののようであります。
勿論一番辛いのは父です。
一緒に頑張ろうね。
私は、今でも
18日の私を呼ぶ父の姿、声が忘れられないのです。
また、17日の夜、夕食を食べる父の姿が忘れられないのです。
♪花の名/BUMP OF CHICKEN
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父が、弱々しい声で、私の名前を呼び続け、隣の部屋で寝ていた私を起こしました。
目を覚ます私に、
弱々しい声で
「左手が動かない」と訴えます。
母は夜勤のため不在。
車で救急外来に行こうと最初は考えたけれど、
どうも事態はかなり悪い。
2階で寝ている兄を起こし、救急車を呼びました。
救急車を待っている間に、左手に加え、左足が動かなくなる父。
左半身に麻痺が拡がってしまったのです。
私が救急車に付き添い病院へ。
兄は、母へ連絡をし、数時間後には、家族全員が病院へ。
医師からは、命に関わる緊急的なことはないけれどかなり厳しい現実を言い渡されました。
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現在も左半身麻痺のまま、入院中です。
なるべく日中に病院へ顔をだしコミュニケーションをとるように病院からも言われているので、
家族で交代で、
毎日
顔を出し、
話し掛けたり
食事の介助をしたり
身の回りの介助をしたり
と過ごしています。
私たちの生活は一変しました。
家族のことだから、家族全員で協力しています。
当たり前のことです。
私たちは、家族なんだから。
父が倒れた当初の私たち家族のショックは勿論大きく、
母は憔悴した顔で、
兄は泣きじゃくり
私は放心状態でした。
数日間は、これから先のことを悲観することが多かったのですが、
少し時間がたつと、
父を含め皆で頑張ろうと思いが強くなります。
しかし、また更に日が経つと
先のみえないことに、これからどうなるのかという不安が押寄せてきます。
本当に大変なのはこれからです。
また、元気な頃の父と過ごした日々を思い出すと、二度と帰ってこない日々に涙が止まりません。
今まで当たり前だったことが失われるのです。
今でも左手は動かなく、その左手はとてもとても重たい無機質なもののようであります。
勿論一番辛いのは父です。
一緒に頑張ろうね。
私は、今でも
18日の私を呼ぶ父の姿、声が忘れられないのです。
また、17日の夜、夕食を食べる父の姿が忘れられないのです。
♪花の名/BUMP OF CHICKEN
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